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ウェルカムボード作成のアートヒロ工房
ハワイやアメリカのエッセンスを取り入れた、木彫りを中心としたこだわりのウェルカムボードで華やかなウェディングを。
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ガラスアートの歴史
●ガラス器の起源であるコア・グラス(紀元前16世紀頃)
ガラスの器がこの世に初めて送り出されたと推測されるのは起源前16世紀頃であり、メソポタミアにて、コアテクニック技法によるコア・グラスが作られました。
この技法により小容器が主に作られ、器の大きさは約10cm程度と言われています。
コアテクニックとは金属の棒に作ろうとするガラス器と同じ形で芯となる耐火物を巻き付け、火を用いてその芯の周りにガラスを溶かしていきます。
こうして器の形になったら、次に冷やして、完全に冷めたら、中の芯を取り出せば出来あがりと言う訳です。
このグラスの名の由来は芯(コア)を使うこの作り方からきています。
メソポタニアやエジプトでは吹きガラスが発明されるまではこのコアテクニック技法が最もポピュラーなガラス技法でした。
●ガラス(トンボ)玉(紀元前15世紀頃)
このガラス玉もコアテクニック技法に似た制作技法です。
やはり金属棒に離形剤を置き、火でガラスを溶かしながら巻き付けていきます。
ガラス玉も紀元前1500年頃にメソポタミアで初めて作られたと言われており、それ以来、エジプト、西アジア、インド、ヨーロッパ、地中海沿岸、中国、ヴェネチア、オランダ、アフリカ、アメリカ、日本など世界中に広まり、長い間作られてきました。
形は丸が一般的ですが、角玉、菱形もあり、模様も斑点、縞、モザイクなど多彩です。
●古代鋳造法(紀元前15世紀頃)
メソポタミアやエジプトで紀元前1500年頃この技法によりガラスのオーナメントなどが作成されていました。
この技法はガラスの粉を型に詰めて焼くというもので、パート・ド・ヴェール技法と呼ばれ、型の中に溶かしたガラス原料を流し込む鋳造という方法のひとつです。
●パート・ド・ヴェール透明ガラス器(紀元前5世紀頃)
この方法による作品は紀元前8世紀頃から出現しました。前述のパート・ド・ヴェール技法による作品は不透明でありますが、この頃透明のものが作られました。
ガラスの粉の代わりにガラス片や粒などを型の中に詰め、焼成したものと考えられ、そのために透明であると推測できます。
この方法はコアテクニック技法では作成できない大きな器や大きな皿などを作成するために生まれたものと思われます。
●モザイク・グラス(紀元前1世紀頃)
このガラスも古代メソポタミアから発祥しました。
このモザイクグラスとは器や作品などがガラスの小さなかたまりで構成され、装飾されたものです。
この小さなかたまりは目的の模様になるように幾つものガラス棒を束ねて熱して溶かし、引き伸ばして(金太郎飴の用量です。)切断します。
この切断したかたまりがモザイクグラスを構成する要素となるわけです。
できたそれぞれのかたまりを型の中で並べ、低めの温度でお互いに同化させれば、モザイクグラスが完成します
●カメオグラス(紀元前1世紀頃)
カメオ細工(様々な色が層になった貝や大理石や瑠璃などの素材を彫刻して人物や動物などのレリーフを施すローマ時代に流行した細工のこと)を応用した技法により作成された物をカメオグラスといいます。
もとになる色グラス(濃紺など)と乳白色のガラスを二層にし外側の乳白色のガラスを繊細に彫刻して模様を作っていく技法です。
ローマ時代に作成されたカメオグラスはその時代のせいかギリシャ神話をもとにした図柄が多い様です。
●リボングラス(紀元前3世紀頃)
モザイクグラスのように器や作品を縞模様に並べたグラスをリボングラスといいます。
この技法はモザイクグラスと同様に色ガラスの棒を型の中に一列に並べて、溶かし、ガラス棒をお互いに同化させます。このようにすると流麗で繊細な縞模様ができ、素晴らしい作品ができます。
この種のリボングラスは紀元前3世紀頃からローマ帝国のアレキサンドリア地方を中心に作られていました。
●吹きガラス(紀元前1世紀頃)
吹きガラスが出現したのは紀元前1世紀頃フェニキア(現在のシリア周辺)であると言われています。
このことはガラス工芸に変革をもたらしました。
それまで前述したコア・テクニック技法、モザイクグラス、パート・ド・ヴェールなどで手間をかけて、ガラス作品が作成されていましたが、吹きガラス技法によって、ガラス製品が大量生産されるようになり、日常の容器として急速に広まっていったとされています。吹きガラスの技法はガラスを高熱によりグニャグニャ に溶かし、内部が空洞になっている金属パイプの先に巻き付け片方から息を吹いて好みの形に整えていくというやり方です。
どなたでも一度は見たことがある光景ではないでしょうか?
吹きガラスには予め、作成する器の形状に作られた型にガラスを吹きこむ「型吹き」とガラスを手で成形していく「宙吹き」に分別できます。ローマ時代の吹きガラス作成にはどちらの技法も使われていました。
型吹き技法では人の形をした器、ぶどうやアーモンドをかたどった器、表面に幾何学模様や植物の模様を描いた器などがあります。
一方、宙吹き技法では日常容器、壷、水差しなどが作られました。
また、コア・テクニック技法、モザイクグラス、パート・ド・ヴェール技法などの古代メソポタミアの技法は吹きガラスの出現により姿を消しました。
●カットグラス(6世紀頃)
カットグラスとはガラスにカットを施す技法により作成されたグラスのことです。
古代ガラスの中で最も美しくカットが施されているのはササングラスと言われています。
ササン朝は(226〜642)はローマンガラスの伝統を引き継ぎながらもカットに独自の分野を開拓し重厚なカットグラスを世に輩出してきました。
その作品の完成度や技術水準の高さから殆どのカットグラスが宮廷のガラス工房で作成されたと考えられています。
日本の正倉院に伝わる白瑠璃碗のような浅い円分や、京都上賀茂神社で出土した碗のような二重の円分カットに見られるようにカットのパターンは様々ですが、基本は蒲鉾型のグラインダーを使用した円分となります。
ササン朝ペルシャの領内で作成されたと考えられるカットグラス片は沖の島の遺跡からも出土しており、6〜7世紀には既に日本にもたらされたことが分かります。
●イスラム・グラス(12世紀頃)
12世紀頃からダマスカス地方を中心に華麗なエナメル絵付けのイスラムグラスが作られました。
エナメル絵付けは壷などの器の表面に青、赤、緑、黄などカラフルなエナメル顔料でアラビア文字やアラベスク模様などが描かれています。
ルネッサンス期に作成された有名なヴェネチアングラスのエナメル絵付けもこのイスラムグラスの影響を受けていると言われています。
●ドラゴンステムとサーバントステム(16世紀頃)
ゴブレットなどの脚部(ステム)に竜の装飾をしたものをドラゴンステム、蛇の装飾をしたものをサーバントステムと呼んでいます。
この作品は16世紀頃にヴェネチアで出現しました。
制作方法は手間がかかるもので、ボウル部、脚部、台部を別々に作成し、それから熱して接着され仕上げられます。
●レースグラス(16世紀頃)
レースグラスはヴェネチアで16世紀から出現しました。
ヴェネチアン・グラスの代表的なテクニックであるこのレースグラス吹きガラスの技法で作成され、透明なガラス生地に細い乳白色の色ガラスが埋め込まれて文様を作り出します。
このレース・グラスは
・糸状の平行文だけで構成された器(ヴェトロ・ア・フィリ)
・格子文の器(ヴェトロ・ア・レティチェーロ)
・レース文の器(ヴェトロ・ア・レトルティ)
の3種類に区別されます。

作成の仕方はまず螺旋状のレース文様を含んだガラス棒を作成します。
透明のガラス生地に複数の色のついたガラス棒を溶着させ、両端から引いて細いレース棒を作成します。
この時の色ガラス棒の数や溶着方法、練り方などでバラエティ豊かなレース文様を作り出すことが可能となります。
このレース棒を鉄板の上に並べるか、または型の中に並べてからガラス種に巻き取り、さらにその外側に透明のガラスを巻きつけ、その後は吹きガラスの技法で完成させていきます。
この技法は大変難しく、最高の技術が要求されるため長い間、ヴェネチアの専売特許として知られたということです。
●ミルクグラス(14世紀頃)
ヴェネチアでは14世紀から不透明な白色グラス・ミルクグラスが作成されるようになりました。
イタリアではミルクを意味するラッチから転じて「ラッティモ」と呼ばれていました。
ミルクグラスが作成されるようになったのは明(現中国)の磁器の影響がきっかけです。
ヨーロッパではその頃、明の磁器のように硬い素材を作り出すのは難しく、東方貿易を独占していたヴェネチアよりヨーロッパ全土に明の磁器が流入しており磁器のような素材作りが求められていました。
そこで考え出されたのがガラスをその代替品にすることでした。
こうして作り出されたミルクグラスは摸造磁器と呼ばれ、白色の生地にエナメル絵付けや金彩が施されヨーロッパ全土に輸出されました。
●グラヴュール(16世紀頃)
グラヴュールという用語には本来彫刻技法全般が含まれますが、通常は銅製のグラインダーでガラス器に彫刻を施す技法(カバー・ウィール・エングレーヴィング)を示しており、ボヘミアやドイツで盛んになったグラヴュールはこの方法によるものです。
ボヘミアでは16世紀末頃からグラヴュールによる作品制作が始められ、17〜18世紀にかけて数多くのグラヴュール工が輩出しました。
元々は宝石の加工技術をガラスに応用したもので、宝石工と兼業のグラヴュール工も多かったようです。
ボヘミアのグラヴュールは時代とともに表現方法が変化していきますが、用いられたモチーフは共通していて、神話や聖書の物語、狩猟風景、植物、動物など様々で、特に人物や動物の模様は写実的に彫刻されています。
グラヴュールの方法は、模様を彫刻する陰刻と背景を彫って模様を残す陽刻に分けられますが、いずれも高度な熟練技術を必要とする技法です。
●アメリカ吹きガラス(18世紀)
アメリカのガラス産業の発展は移民の歴史と共に歩んできています。
当初、本国であるイギリスがアメリカでのガラス製造を禁じていたため同時期のヨーロッパに比べてかなり遅れていました。
18世紀前半に本格的なガラス製造が始まりましたが西部進出に合わせ急速に発展を遂げていきました。
需要は窓ガラスや日常器類、瓶などが主で工芸品のようなものはありませんでした。
このようにアメリカの初期の頃のガラス器は素朴な吹きガラスが主で実用性が最重要であったため、美しい装飾が施されることは少なかったということです。
●プレスグラス(19世紀)
19世紀に入るとアメリカの国力増大に伴いガラスの需要も急速に高まり1830年代にはそれまでの吹きガラスとは全く違う考え方のガラス製造方法が産声をあげました。
そのプレスグラスとはガラス種を金属の型に挟んで成型する技法で、押し型による成型法という意味では、古代のガラスにも同様の技法によるガラス器が見られますが大量生産手段として開発されたのがアメリカの プレスグラスです。
プレスガラスのメリットは
・吹きガラスのようにガラス種の一つ一つに息を吹き込んで作成する必要がない
・高度な技術が不要
・作成するガラス工も少なくて済む
・製造時間が大幅に短縮できる
などがあげられます。
また、製造機械の改良により皿などの平らな器だけでなくボウルやキャンドルスティックなども作成され応用範囲が広がり、アメリカのガラス産業は飛躍的に発展しました。
●アール・ヌーボーとガレ(19世紀)
被せガラスとは色の異なるガラスを二層以上に重ねたガラスのことを言います。
19世紀後半から末にかけて、フランスを中心としたジャポニスム(日本趣味)からアール・ヌーボーへの流れの中で命のはかなさや自然の美しさを違った角度から捉えることに気付き、それまでの美術や装飾表現とは異質の世界を築こうとしたのがエミール・ガレ(1846〜1904)を筆頭とするアール・ヌーボーの作家たちでした。
アール・ヌーボーの作品と言えば真っ先にガレの名前が思い浮かぶほど当時の作品の中で彼のものは際立っていました。
彼の作品は他の作家と比較してもテーマの深さやこだわりを感じることが出来ます。
アールヌーボーのガラス作家たちが最も好んだのが被せガラスの技術で、特にガレのドーム工房は競うように新しい被せガラスの技法を開発し、次々に斬新な作品を生み出していきました。
アール・ヌーボーのデザインでは植物が最も多く色彩に富んだ草花を表現するには被せガラスの技法を用いるのが適していたのでしょう。
ガレやドーム工房の用いた被せガラスは単に色ガラスを2重、3重に重ねるのではなくガラス生地にも色ガラス粉をまぶしたり、予め色ガラスによる模様を埋めと奥行きを出すために様々な工夫が盛り込まれています。
●パート・ド・ヴェール(19世紀)
パート・ド・ヴェール技法は19世紀にフランスの陶工アンリ・クロ(1840〜1907)が始めました。
ろうなどで原型を作成し、耐火物で型取りをした後、ガラス粉を植物の根の汁などで練って型の中に詰めて焼成するというのがクロの採用していた技法で、それ以降のパート・ド・ヴェール作家もほぼ同様の方法で作成していました。
古代メソポタミアで作成されていた鋳造法によるガラスも一種のパート・ド・ヴェール技法と言えます。
しかし、クロを始め当時のパート・ド・ヴェール作家たちはいずれも制作方法を公表しなかったため後継作家が育たず、作家たちの死とともに技法が廃れてしまいました。
彼らが技法を秘密としたのはこの技法が高度な技術を必要だったわけではなく型取りと焼成の方法さえ分かれば誰でも真似できる技法だったようです。
クロ以後は、クロの息子であるジャン・クロやドーム工房にいた作家たちがアール・ヌーボーからアール・デコの時期にかけて活躍し、吹きガラスとは異なる趣きを醸し出しています。
パート・ド・ヴェールのメリットは原型通りの形状が得られ、ガラスへの着彩や透明度の加減が自在にできるところにあり、近年では再び注目を集めています。
●虹彩ガラス(ティファニー)(19世紀)
アメリカを代表するアール・ヌーヴォーのガラス作家で特に金属光沢を放つ虹彩ガラスとステンド・ガラスで有名なのがルイス・コンフォート・ティファニー(1848〜1933)です。
画家を目指して絵の勉強をし、パリへも遊学したことのあるティファニーは、フランスのアール・ヌーヴォーのガラスに感銘を受け、アメリカに帰国後、会社を設立して本格的にガラス作品の制作を始めました。
ティファニーが開発して特許を取得したのが、還元によってガラスの表面に金属光沢を与える方法で、ティファニーはファヴリル・グラスという商標で登録しました。
ラスター彩などによってガラスの表面に金属的な光沢を付ける方法そのものは、ティファニーの独創ではないですが、この技法を応用したガラス器のデザインは独創的でありました。
ティファニーの会社はガラスだけでなく、家具、金工、宝飾にと幅広い活動を展開しています。
●オパールセント・グラス(ラリック)(19世紀)
アール・デコを代表するガラス作家であるルネ・ラリック(1860〜1945)は、元々有名な宝石デザイナーでした。
宝石はアール・ヌーヴォー様式のものが多く、ガラス作家に転じる前から、宝石にもガラスを素材として取り入れた作品を発表していました。
コティー社のために香水瓶をデザインしたことからガラスに転じたラリックはパリ郊外にガラス工場を設立し、型吹きやプレスなどの技法を駆使して新しい作品を作り出していきました。
特に型吹きでは圧搾空気を利用してガラスを吹き込み、細部の彫刻も精密に再現可能にしたり、彫刻技法としてエッチングの他にガラス工芸を取り入れられたばかりのサンドブラストを利用するなど、技術開発にも意欲を注いだ。
ラリック作品はアール・ヌーヴォーのガラス作品に比べると色彩の使い方はシンプルで、青、赤、緑、オレンジなど単色で作成されたものが多くなっています。
その中で特にラリックの作品を代表するのが淡いオパールのような色合いのオパールセント・グラスで、器類だけではなく、人物像のオーナメントやカー・マスコットなどにも使用されています。
●エッチング(モーリス・マリノ)(20世紀)
ラリックと並んでアール・デコを代表するモーリス・マリノ(1882〜1960)も、ラリック同様に元々はガラス作家として出発したのではなく、フォピズムの画家からガラスに転じた作家です。
1901年にパリの画学校に入学して以来1913年まで画家として作品を発表する一方で、1911年からガラスへのエナメル絵付けによる作品制作も始めるようになり、アール・デコの時代にあたる1923年からは変わったスタイルのガラス作品を制作するようになりました。
マリノの作品の特徴は、ガラス生地が他の作家よりも厚く、エッチングによる彫刻技法を多用した点にあります。
技法的には他にもガラス生地に気泡を入れたり、色ガラスを内側に被せる方法やカット、アイスクラックなども使用していますが、作品としての用途は器であっても、当時流行した機能美からは離れた独自の作風を堅持し続けました。